『今を生きるための現代詩』
渡邊 十絲子(講談社現代新書)
ずっと考えていたけれど、うまく言葉にできていなかったことがたくさん書かれていてメモメモしながら読んだ。
いつでも読み返して元気と勇気が出せるように自分用のメモとしてここに投稿します。
前後の文脈が無いので、何かよくわからないと思いますが、それでも気になった方は本書を読んでみてください。
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「伝えたい内容があらかじめあってそれを表現する」ものではなく、「表現がさきにあって、結果的になにごとかが伝わる可能性を未来にむけて確保している」
なにかの教訓を得ようなどというさもしいことは考えなくてよい。
ふつう「わかる」といえば馴染みがあるということであり、これに反して「わからない」といえば馴染みがない、縁遠い、ということである
人々のよく知っている普遍的な感情は「わかる」とされ、新奇な表現が含まれれば「わからない」といわれる。それは人の世の鉄のおきてである
表現をしようとする者は、みなこの「わからない」という拒絶や無理解にどう処するかを問われているのだが、「わかる」といわれることを目的にしてはならないと思う。それは自分の表現意欲を、もっとも安直な方法で満足させることだし、「創造」とは誰でも知っているような既存の価値を再生産することではない。
もし詩の理解がこのような『なじみのあるなしの判定』レベルを超えないものならば、詩を鑑賞しようとすることはむなしいではないか
ではどうすればいいのか、
「すぐにわかったつもりになるのをやめて、簡単にわかってしまわないようにする」という態度のたいせつさだ。「わからない」という認識は、日常なじんでいるものを「わかっている」と思うことに比して、より高度の認識である。なぜなら「わからない、不思議だ、ここには何かがあるにちがいない」という感覚は、もともと理解力の乏しい人には生じないからだ。
「わかる」ものは、安心できて楽だから好き。「わからない」ものは、めんどうだからきらい。それは万人の共有する、揺るぎない価値観ではない。なにごとにせよ、早く決まるのがいいとはかぎらないのだ。